November 01, 2016

長いお別れ

51urrqlozal__ac_us160_ クロとの散歩道の途中に小さな図書館があります。近すぎてあまり利用したことがなかったのですが、ふとしたきっかけで行くようになって、図書館で本を借りるという習慣ができつつあります。本屋さんでの出会いとはまた違う、本との出会いが図書館にはあります。

10月はほぼ一カ月間、風邪と仲良しになってしまい、大阪の両親に会いに帰る予定もキャンセル。咳が続くという程度でしたが、もったいない10月を過ごしてしまいました。

でもその時に図書館で借りた本が「長いお別れ」でした。なにげなく選んだ本があまりにも自分にタイムリーだったことに驚き・・・

私が大阪行きをキャンセルした頃、父は肺に水がたまったり、それが治ったと思ったら、突然、認知症のような言動や始まったりしていて、家族も私達も父の日々変化していく体調にドキドキでした。

精神的には本を読んでいる場合ではなかった私ですが、自分が出会ってしまった「長いお別れ」がすごく気になって、寝る前に少しだけと思って読み始めたらすぐに、この本は私を図書館で待ってくれていたんだなぁと思いました(*^_^*)

ストーリーは 認知症を長く患っている父親を中心に、その妻、娘3人が、父親の病状の変化に右往左往しながらも、父親とのお別れまでの時間を支えあって過ごしていくといういう家族の物語。認知症は少しずつ記憶をなくして、ゆっくりと遠ざかって行くという意味で「長いお別れ」ということなのだそうです。そして、まだまだ長く続きそうな介護の日々も、あっけなく最後がやってきて・・ そこで物語は終わり。

私の父もこの物語の中の父親のように、少しずつそして長い時間をかけて忘れていくのでしょうか?でも年齢的にはそれほど長い時間は父には残ってないような気もします。「短いお別れ」になるのかな? どちらにしても父にとって、家族や私達にとっても良い時間を過ごせますように。私は私の置かれた場所でそんな努力をしてみようと思います。

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September 21, 2016

永遠の出口

私の場合、次いつ会えるかわからない時には「さよなら」は言わない。「またね」と言って別れる。それは素直にまた会いたいという気持ちを込めている。

でも、次回がいつなのかはわからない。ずっとずっと先かもしれないし、必ず会えるという確信もない。そういう時にはいつも、もう会えないわけではないんだからと自分に言い聞かせても、胸一杯に寂しさが広がっていく。

たとえば、4年ごとに行っている同窓会。再会はとても待ち遠しくてワクワクするのに、なつかしい友人達との楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、気がつけばいつも「またね」という場面だ。必ず私はその場面で泣く、いい歳をしてだ・・(^_^;)

楽しい再会の後にもれなくついてくる寂しさ。。 その正体ってこういうことだったんだと、↓これを読んで少しわかったような気がした。


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それから長い年月が流れて、私たちがもっと大きくなり、分刻みにころころと変わる自分たちの機嫌にふりまわされることもなくなった頃、別れとはこんなにもさびしいだけじゃなく、もっと抑制のきいた、加工された虚しさや切なさにすりかわっていた。どんなにつらい別れでもいつかは乗りきれるとわかっている虚しさ。決して忘れないと約束した相手もいつかは忘れると知っている切なさ。多くの別離を経るごとに、人はその瞬間よりもむしろ遠い未来を見据えて別れを痛むようになる。

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July 24, 2016

ハル 哲学する犬 

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この前お会いした犬友さんが、『yumiさん、また犬飼ってよかったですね。ブログが明るくなったよ~』っておしゃって下さいました。自分では気づいてなかったのですが、確かにそうですね。

トマトが亡くなった直後から、体調を崩して通院が始まり、それは今も続いていますが、クロを飼ってから半年以上経ち、昨日の定期検査ではすべての数値が正常になり完璧でした。クロのお陰ですね。

犬が好きな私にとって、毎日の中心にクロと楽しくたくさん歩くということをおくことで、私のすべてが元気に動きだしたということでしょうか。何をやっても楽しい、何をしても疲れない、いくらでもやれるという感じです(*^_^*) ワンコはすごい☆(あくまでも私にとってですが)


そしてまたまたワンコですが・・とても素敵な本に出会いました。可愛いメルヘン的な絵の中に出てくる犬「ハル」が、とてもシンプルでわかりやすい言葉で、私がずっと感じてきた色々な疑問や不安や生きることについて等々・・じんわりと優しく答えてくれました。この本を訳された蓮池さんのあとがきも素敵でした。


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 ハル 哲学する犬
     著者:クォン/デウォン
         
     訳  :蓮池/薫       

明日

たとえ人生が終わったとしても、それは
きょうが去っても、明日がくるのとおなじです。
ことし花が散っても、来年また咲くのとおなじなのです。

現実には、だれもが限りある肉体という型のなかで
あたえられた時間だけを生きるようになっています。

その時間が去ったとしても、また明日がやってくるのです。


クォン/デウォン
   朝鮮日報」新春文芸において、詩の分野で文壇デビュー

蓮池/薫
   1957年新潟県生まれ。中央大学法学部3年在学中に拉致され、24年間、北朝鮮での生活を余儀なくされる。帰国後、新潟産業大学で朝鮮語の非常勤講師・嘱託職員として勤務するかたわら、中央大学に復学

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November 07, 2015

漁港の肉子ちゃん

秋色に染まりつつある我が家周辺には、リース素材がたくさん。
裏の田んぼのそばにあった蔓をくるくる捲いてみたらリースができました(*_*)

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一か月前にまたまた誕生日を迎えてしまいました。
節目には色々な想いが湧いてくるものですね。

元気でこれまでやってこれたことに感謝と
なぜか
ありのままに生きたいなぁ~と思ったのでした(*_*)

でもそれは今までもそうでしたが、
中々そういうふうにいかないもので・・
いろんなことを考えると、ありのままがわからなくなってしまう。
結局、流されているだけの自分らしくない自分がいつもいるのでした(>_<)

”がんばれ自分”

人生はそんなに長くないんだから。
生きたいように、好きなようにやっていこうよ。

51hlyvmvc4l__sx344_bo1204203200__2『漁港の肉子ちゃん:西 加奈子』より

ありのままを実践して、ほんのひと時解放された気分に浸ることができても、結局は他人に迷惑をかけたり、そのツケが自分にまわってくることを私たちは畏れている。いつもありのままでなんていられない。かといって自意識の中に自分を閉じ込めれば、息苦しさで潰れそうになってしまう。

じゃあ、どうしたらいい?

みんな、今、この瞬間、ありのままで生きている。望むと望まざるとにかかわらず、自意識がどのように働こうとも。葛藤も後悔も全部全部引っ括めて、結局ありのままでしか生きられない。そして注意しなければならないのは、そのありのままは、決して止まるものではなく、刻々と変化し続けていくことだ。キクりんが少しずつ大人の女性に近づいていくように、肉子ちゃんがさらにどんどん肥えていくように、あるいは重松の奥さんが急に亡くなってしまうように、私は実のところ、ひと時も同じ自分でいることなどできない。だからこそ、その時々の私を私は愛さなければならない。そんなの無理だよ、きれい事だよ、なんて気取った声に耳を貸す余裕なんて、本当は少しもないのだ。なぜなら、ここにいる今の私は、もう二度とこの世に現れることはないのだから。ありのままは憧れるものではなくて、今、もう既にここにある。そして次の瞬間にはもう違う形をして、また新しいありのままにとって代わられる。

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July 02, 2015

根をもつこと翼をもつこと

幼馴染のKちゃんから送られてきた画像↓
「メコン川の川岸を散歩しました」というコメント付きで。
日本の広島の田舎にいる私には、全く違う時間が流れているように見えました。
幼い頃は毎日いっしょに遊んだのに、二人の距離は遠いね、今。
でも遠くてもいつだって戻っていける、あの時やあの場所にね。
いつだってとんでいけるよね。
心はいつも自由(*^_^*)また会おう。

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根とはルーツだ。ルーツのない人間はいない。誰もが誰かの子供であり、親にはその親がいて、またその親がいて…延々と過去へと繋がっている。翼とは意識だ。飛翔し、想像する力。イメージし、自由に夢想する力。根をもつこと、翼をもつこと。そのことを思い出し、それに支えられるなら、人はどのような環境においても、この世界にしっかりと関与して生きていける。たとえ私が限りなく変わり続けようとも、根があるから戻ってこれる。たとえ私がある場所に縛りつけられても、翼があれば自由だ。

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April 19, 2015

ヴァージョン・アップ


20150114205324(←クリック)は、村上春樹さんが読者に向けて質問・相談を広く募集し、それに村上さんが返事を書くというやりとりを期間限定で公開しているサイトです。

すでに質問募集は終了していますが、結局、予想を遥かに超える3万通以上のメールが寄せられ、どうしてこんなとんでもないことを始めてしまったのだろうと自問自答しながらも、好奇心旺盛の村上さんが一通一通読み進めそれを楽しんでいるのがわかります。

本当に様々な質問があり、それに対する村上さんの回答は村上さんらしさが溢れていて楽しいです。たとえばこんな感じです↓

「ライバルについて」の質問への回答

僕にとって今でも、僕の最大のライバルは過去の僕自身です。大事なのは、過去の自分を乗り越えていくことです。かつての自分を更新し、ヴァージョン・アップしていくことです。いつも「自分に負けたらおしまいだ」と思っています。他人のことなんか気にしないで、自分をしっかり見つめていくことが大事ですよ。自分にきっちり勝つことができれば、他人にも勝てます。というか、勝ち負けなんてほとんど気にならなくなります。実はそれがいちばん大事なことなんです。

村上春樹さんの物語についつい惹かれるてしまうのは、彼のそういうところなのかもしれません。
自分の更新とヴァージョン・アップ、そういうことに私もがんばりたい。

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March 04, 2015

泣いてばかりの人はいない

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休日、職場に少し用事ができたキャロ父さん。私も車に便乗して職場まで往復2時間ほどのドライブ。途中、寄り道してこんな↑景色も楽しんで 「ここに前回来た時はトマトもいっしょだったよね」とつい思い出話し。

出かける時はいつも犬連れだった私達。いつのまにかキャロトマは私達の前から消えてしまって。まだまだなつかしい景色の中に、キャロトマを探してしまっては泣きそうになる私。でもキャロ父さんは私とは違って(多分)、思い出話しもなんだか楽しそう(に、見える)。


【許す力:伊集院静香】より

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家族を亡くした哀しみは当人にしかわからないものだ。他人が想像していてもわかるものではない。家族を亡くしてはじめてわかる。そうしてその時、家族を亡くした人たちでこの世があふれていることを知る。
 生きる希望さえ失いかける人もいる。それでもその切なさを皆が乗り越えるのは、時間という薬と、死んだ人に恥ずかしくない生き方をしようとわかっているからである。
 それでも当人しかわかり得ない哀しみは生涯ついてくる。それが家族である。

 泣いてばかりの人はいない。わらって、怒って、しんみりして、なお平然と人は生きている。

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February 19, 2015

風の歌を聴け

Haruki今さらですが村上春樹さんの経歴を検索してみたら、京都生まれで兵庫県西宮市育ちでした。西宮は私が学生時代遠距離通学したなつかしい場所。そんなことを頭に入れながら「風の歌を聴け」を読んでみると、主人公の「僕」が帰省した夏の場面の風景描写が、いつも以上に鮮明。これはきっとあの川沿いのことだとか、これはあの坂道?なんて・・村上ワールドがえらい身近(*^_^*)
村上さんの年齢からすると、私が過去にそこで村上さんとすれ違ったというようなことはなかったのだろうと思うけど、そういうことを想像するのは夢があっておもしろいな。

もちろんいつも通り「風の歌を聴け」も、物語がつかみにくいし、いやらしい描写もたくさん。でも「海辺のカフカ」と同じくらい好きだなと思う。

いつも感じている、過ぎゆくばかりの時間や、出会い別れゆく人達・犬達への寂しさや哀しさやつのる懐かしさ。でも今、少しそれを横に置いといて、始まりも終わりもなく永遠に続く風の歌に耳をすませてみよう。

ー「風の歌を聴け」よりー

暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い心は夢さえもみない。」
死んだ祖母はいつもそう言っていた。祖母が死んだ夜、僕がまず最初にしたことは、腕を伸ばして彼女の瞼を閉じてやることだった。僕が瞼を下ろすと同時に、彼女が79年間抱き続けた夢はまるで舗道に落ちた夏の通り雨のように静かに消え去り、後には何ひとつ残らなかった。

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病院の窓からは港が見えます。毎朝私はベッドから起き上がって港まで歩き、海の香りを胸いっぱいに吸い込めたらと・・想像します。もし、たった一度でもいいからそうすることができたとしたら、世の中が何故こんな風に成り立っているのかわかるかもしれない。そんな気がします。そしてほんの少しでもそれが理解できたとしたら、ベッドの上で一生終えたとしても耐えることができるかもしれない。

僕がこの手紙を受けとったのは昨日の3時過ぎだった。僕は局の喫茶室でコーヒーを飲みながらこれを読んで、夕方仕事が終わると港まで歩き、山の方を眺めてみたんだ。君の病室から港が見えるなら、港から君の病室も見える筈だものね。山の方には実にたくさんの灯りが見えた。もちろんどの灯りが君の病室のものかはわからない。あるものは貧しい家の灯りだし、あるものは大きな屋敷の灯りだ。あるものはホテルのだし、学校のもあれば、会社のものもある。実にいろんな人がそれぞれに生きてたんだ、と僕は思った。そんな風に感じたのは初めてだった。そう思うとね、急に涙が出てきた。泣いたのは本当に久し振りだった。でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。

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August 21, 2013

読んでない人は?

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自分が読んで感激した本を、だれかさんも同じように読んだって聞くと、共通の友人を持てたようでうれしくなります。

墓地掃除にいって、墓石を磨く時にふと気付いたのは、それは義父の弟さんで戦死された方なのですが、亡くなった日付が、終戦後になっていること。-今頃気づくというのは大変申し訳ないことなのですが-終戦になって、家族は無事に帰ってくると思っていただろうに、結局、戦地での病死だったのだそうです。

41khm7viwl__sl500_aa300__2そんな時、我が家のHからメールが。調査報告書が添付されていてびっくり。彼も私と同じように、この戦死された方のことが気になって、戦死されるまでの足取りを色々調べてくれたようでした。Hの場合は「永遠の0」を読んだのがきっかけらしいのです。

そういえばMちゃんも読みました~って言ってた。私をとりまく5人のうち4人(内1人は未確認)が読んだということになります。たまたま同じ本を読んでいたというのがうれしいな。さらにそれが「永遠の0」とは・・

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July 13, 2013

少年H

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『少年H』(しょうねんエッチ):妹尾河童

1997年に講談社より刊行 毎日出版文化賞特別賞受賞作品

妹尾河童さんご自身の自叙伝的な物語。戦争の真っ只中、少年だった河童さんが、純粋な目で冷静にその時代を見つめ、それを細かく記憶していることに驚かされました。

勉強よりも労働にかりだされる少年達。過酷な日々の中でも、どこかに楽しみを見つけては、ささやかなことに喜び、たくましく生き抜く力を生活の中で身につけていく。

軍国主義を押しつける厳しい教師には反発し、逆に厳しさの中にも優しさが感じられ、納得できる授業をしてくれる教師を強く慕い・尊敬する。空襲で家が焼けた時、手を差し伸べてくれた多くの友人・知人。 それらすべてが、少年期の彼を支え、成長へと導いていく。

戦中、終戦、戦後と、大きく変化する中、たくましく生き抜く少年H、そして彼をとりまく個性豊かな人達にも魅力がいっぱい。映画もみたいな。(映画の宣伝みたい・・)

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