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September 03, 2009

1Q84

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ようやく読み終えました。

昨夜、キャロ父さんが
「月のそばに大きな星が見えるよ。あんなのあったかな?」って
話すのでびっくりしました。
それって1Q84の世界ですよ(^^)

一言も見逃さないようにと覚悟を決めていましたが
やはりいつものごとく見失いそうになりました。

現実の様々な雑踏の中で合間合間に
本をセカセカ読んでいると頭が変になりそうで
ついつい見上げた空に浮かんだ月の数を数えてみたりして(^^)

一番好きな場面は・・

何年も父親をさけて暮らしていた彼・天吾(主人公)が父親と再会する。父親は海の近くにある認知症患者のケアを専門にする療養所に入っている。「元気ですか?」と天吾が父親に尋ねると父親は「おかげさまで」とあらたまった口調で答える。息子である自分のことを父親がどこまでわかっているのかわからないまま、それでも天吾は今までの空白を埋めるように、自分の中の想いや疑問、自分がどんなふうに生きてきたのかを話し続ける。帰り際、天吾が「さよなら、お父さん。近いうちにまた来ます。」と言い、ドアに手をかけてもう一度振り返ったとき、父親の目から一筋の涙がこぼれている・・

村上春樹さんの世界はいつも複雑で広すぎる・・
だからどのようにその物語を読むかは自分次第。

現実の世界だってかなり複雑に入込んでいるものだ。
そしてどんな世界にいても
自分は自分でしかありえない。

自分が何を思っているのか
自分が今、伝えるべきことは何なのか
自分が行うべきことは
そしてそこに心を込めているかどうか
自分に正直であるかどうか

どんな世界においても
どんな場面においても
そういうことを心にしっかりと持つことで
正しい力が与えられる。

と、そんなことを思いながら読んだのですが・・私としては。

そして
天吾のそれとはかなり違うのですが・・

何度も思い出す場面(私自身の中の)がある。
何度思い出してもその場面で
いつも私はものすごく正直に自分を表現することができている。
何度戻ってもいつも同じだ。

そしてそのシーンでは
私を遠くから見送ってくれている人が見える。
もう二度と会えないわけではないのに
二度と会えないんじゃないかと思ってしまうほど
大きく大きく手を振って私を見送ってくれている。
感謝と寂しさの入り混じったその瞬間は
私の人生においての原点なのだと思う。

僕は誰かを嫌ったり、憎んだり、恨んだりして生きていくことに疲れたんです。誰をも愛せないで生きていくことにも疲れました。僕には一人の友達もいない。ただの一人もです。そしてなによりも、自分自身を愛することすらできない。なぜ自分自身を愛することができないのか?それは他者を愛することができないからです。人は誰かを愛することによって、そして誰かから愛されることによって、それらの行為を通して自分自身を愛する方法を知るのです。僕の言っていることはわかりますか?誰かを愛することのできないものに、自分を正しく愛することなんかできません。

この物語の中心にあるのは、多分こんな信念、こんな率直さだ。あらゆるものが入り混じり、吹き荒れる強風の前では、こんな気持ちはいかにも頼りないけれど、でも、中心にはこれしかないのだということ・・なのかな?

『1Q84』は私てきにはこういう感じ・・

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