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July 29, 2005

出会うということ

bd_hotaru4子供だったある日、私は人が人として生まれてきたことの悲しみにふと気づきました。そしてそれ以後、それを証明するような悲しい出来事(別れ)にたくさん遭遇することになります。別れという絶望の中にいても新しい出会いはすぐ側にありました。出会いの始まりはいつもどうしようもないくらい楽しくて輝いていました。

人として逃れられない悲しみに気づきつつ、それでも私がここまで歩いてこれたのは何だったのでしょう?自分の中にある「出会いたい」という思いでしょうか?出会わなければ悲しみはない。でも輝くこともない。輝いてこそ人生かなって・・出会いがあってこそ自分なのかなって・・出会いはキラキラとした暖かいものや言葉にはできないものをたくさんたくさん惜しみなく与えてくれました。出会うことに私達は怯えることはないんですよね。出会えたことに感謝。これからも出会えるということに感謝して歩いていけたら・・・と。

別れがあって、出逢いがある。変わっていく世界に怯えることはないのです。あなたに出逢えて本当によかった。限られた時間の中であなたに出逢えたことは、奇跡なのだと思います。これからもたくさんの人と出逢っていくでしょう。でもどんなに時間が流れていっても、あたなとの出逢いは一生忘れません。私にとって、とても大切な出逢いです。あなたにとってもそうであったならと望むばかりです。【あなたへ:河崎愛美より】

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Comments

おはようございます。なんだか、この記事もいい感じですね~(笑)。

ぼくはどちらかというと、人を意識しない(もしかすると意識しすぎて、気にしないようになっている?)ほうなので、人との別れとか、人との出会いというあたりのことに対して、yumiさんほどの、深く感じるものは持っていないかなぁ~・・・と思って読んでいました。

ただ、みんなで一緒の時間を過ごしたあとで別れる・・・たとえば、修学旅行の帰りとか、サークルの合宿の後とか・・・ということについては、すごく「さびしい」気持ちがあって、それこそ、修学旅行に出かけたり、サークルの合宿に出かけたりする初っぱなから(笑)、さびしさを感じてブルーになっていたりしたなぁ~(^^;

・・・という思い出?が甦ってきました。

Posted by: カオナシ | July 30, 2005 at 07:46 AM

なんか暗い記事になってしまったかもしれません。でも、こういう部分が私の根っこにいつもあります。前世の記憶ではないかと自分なりに分析しているのですが・・(笑) カオナシさんと同じようなブルーな感じの時もあるし、かなり深刻にそういうことを思ってしまう時もあります。友達はみ~んな笑い飛ばしてくれます。そんなこと思っても仕方ないや~んみたいに・・ 無駄は好きじゃないですが、感じてしまうことってどうしようもないですね。

Posted by: yumi | July 30, 2005 at 04:12 PM

おはようございます。
2人組、折り返しです。母はとりあえずは元気?
を装ってるかなぁ~夜の散歩にも付き合ってくれました。
ミルキー、いっぱい走らされヘトヘトで~す。
(コラ!おばあちゃんに負けるなよ~)
伯父は、下痢しちゃって…
食べ物、緊張感の薄れ、疲れなどからきたのかしら…

>出会えたことに感謝。これからも出会えるということに感謝して
 歩いていけたら…
と思い続けることができるyumiさんの素晴らしさ…

人との出会い、いつも私は性善説。だから友達に「だまされないようにね」と心配されたこともあります。

>別れがあって、出逢いがある
帰国する友達を何人見送ったか。そしてどんな出会いがあったのか?

最近、きっと主人の転職、私自身の環境の変化で出会う人もいろいろで…時々、アレ~???と思うことがあります。
出会いたくなかったわ、なんて思うことも…その人のよさを認めても、でも駄目だわと思う、その人もきっと、いえ絶対私の事、きらいか、煙たいことでしょうね。
疑心暗鬼→人間不信→自己嫌悪と悪循環。余裕がなかったんでしょうね。今も余裕はないけれど…

これからも、人との出会いは性善説。
「だますよりだまされる」人間でありたいですね。
「雨ニモマケズ」かな。

なんか、ごめんなさい。母との久々の時間…
いろいろ感傷的になってマス。
(エヘへ、ワインも飲んでるし~)

Posted by: ミルコ | August 01, 2005 at 06:16 AM

おはようございます~ミルコ様(*_*)

久しぶりにお母様と楽しい時間過ごされて少しだけ感傷的になってるミルコさんの今のお気持ちわかります。

先日、大阪の両親から突然の電話が。「鳥取に来たついでにそっちにまわるかも」って。じゃぁ待ってるからって電話を切って私がいそいそ買い物に出ようとしたらまた電話が。「やっぱり行かないから」って母。久しぶりの両親にせっかくだから我が家に一晩でも泊まって欲しいと思う反面、両親が帰った後の自分の気持ちを思うと会わない方がいいかって思う自分。それほど、会うことの後に必ずくっついてる別れに弱い私がいます。いつもは強いのにねぇ~(-_-;)

口では何とでも言えるのですが、現実はきれいごとばかりではないですよね。私にも過酷?という感じの出会いがたくさんあります。 そんな時には自分のいやな部分ばかり引き出されて自己嫌悪です。素直に感謝できる出会いとそうでない出会い、そういうものがいつも入り混じっています。過酷な出会いは正直しんどいです。でも、その過酷さが長い目で見ると自分に必要なものをたくさん与えてくれるものであるような気がします。そこから逃げたいけど逃げない理由はそういうところにあるかもしれません。そういう意味も含めて出会えたことに感謝、これから出会えるということに感謝して歩いていけたら・・と思うのですがどこまでできるかどうか?

日本から遠く離れた場所にいて人を見送るっていうのは、特別な寂しさあるでしょうね。(~_~;)

「雨ニモマケズ」ってミルコさんの根っこなのかな?海外でご主人とがんばってるミルコさん、とっても尊敬です。おふたりだからこそがんばってこれたっていうのがあるのじゃないかなぁって想像しています。一人じゃないっていうのはすごい力ですよね。おふたりでこれからもがんばれ~ミルキーちゃんもいてくれるしね。

Posted by: yumi | August 01, 2005 at 08:16 AM

yumiさん、昨夜は何をかいてんだか…失礼しました。
>その過酷さが長い目で見ると自分に必要なものをたくさん与えてくれるものであるような気がします。
そうなんですよね。そんな出会いからも学ぶことがあるんですよね。yumiさんのコメントで心も軽く♪
ありがとうございました。

母のことちょっと書いてもいいですか…って事後承諾ですね。
その①観光バスで。隣の年配の人が気になってなにかと世話を焼く母。聞けば、あちら様も娘さん夫婦と旅行中(カナダから)。別れ際、お互い「良い旅をネ」と。自然に出る言葉がうれしかったです。
その②ホテルのレストランで。黒人のとっても陽気なウェートレスさんがいた。鼻歌、歌いながら陽気にお仕事してる。母はそんな人を見るとすぐに調子を合わせる…言葉もわかんないのに。彼女が言うのに、「今、生きていくのはつらいことが多いから、だからこそ前向きに生きていくのよ~」。翌日の朝食の時も、笑顔でごあいさつ、気持ちのいい1日の始まりでした。
おっちょこちょいの母の行動だったけど、なんか素敵な出会いに思えました。

Posted by: ミルコ | August 02, 2005 at 05:24 AM

ミルコ様
なんだかお母様のイメージ湧いてきました。と~っても明るくてきさくで暖かい感じの方ですね。どんな場面でもきさくに語りかけられる人っていいなぁ~ちょっとした一言を気軽に言えることで、人との関係どんどん広がったり素敵なものになっていったりしますね。そういう才能?って真似できないです。お母様も叔父様も充実した旅の時間を過ごされていらっしゃるのがよ~くわかりました。

Posted by: yumi | August 02, 2005 at 07:20 AM

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